男役という枠が外れたとき②――宝塚卒業後の歩みを考える
久しぶりの更新。
かなり前ですが、こんなブログを書いて思春期のころから持っていたもやもやとした気持ちを整理しました。
↑のブログ記事は姿月あさと・ずんこさんが好きになって、
卒業後ちょっと気持ちが離れて、
また出会ったときに宝塚のスターだったときとは違う
「一人の歌い手」としてのずんこさんが大好きになったという話です。
ですが、また違うところで思うところがあって、
でもその気持ちを言語化することが難しく、
気がつけば半年くらいの時間が経っていました。
やっと言葉にできそうなので、つらつらと書いていきます。
スターとはなんぞや
私は去年の秋頃くらいに突然北翔海莉・みっちゃんが好きになりまして(笑)。
宙組の3番手時代からの彼女を見ていなかったので、
難しい役をとにかくこなす器用な男役というイメージが強く、
特に専科時代の作品には驚かされました。
特に「メリー・ウィドウ」と「エリザベート」は本当に素晴らしかったですよね。
それで「この人正統派スターだったんだ!」と感動したのがきっかけ。
ただ、私は同じくらい妃海風・ふーちゃんも好きになったもので、
卒業後はどちらかといえば彼女のほうを追いかけていたものだから、
あまりみっちゃんの卒業後の動きは追えていませんでした。
で、あるときいつも聞いている「たまむすび」というラジオ番組で、
ニッキ・錦織一清が自らが演出する「蘭」という作品のエピソードを語っていました
そして、出演者のひとりである、みっちゃん・北翔海莉の話が出たのです。
ちょっと書き起こしてみました。
「北翔海莉さんはなんでもできる人だって聞いてて本当にそうだった。で、かっこよかったのは男役トップスターだったからね、スターって背中なのよ。颯爽と歩くその後ろ姿っていうのかな。バックダンサーとしてトシちゃんやマッチのようなスターの背中を見てきたからね、スターの背中って大きくて颯爽としてかっこいいのよ。それと同じ背中がそこにあったの!」
宝塚OGっていうのは、やっぱりそういうことを求められるんだなあ……と。
幼い自分であれば、私はそれを肯定的に受け止めていたと思います。
これはニッキとみっちゃんが悪いわけではないのですが、思い切って大阪まで見に行こうかなと思っていた気持ちを削ぐくらいの衝撃はありました。
ふーちゃんが「江戸は燃えているか」で娘役とはまったく違う、力強い女性を演じていた姿を生で見たあとだったので、同じようなチャレンジをするみっちゃんが見たかったのですよ。
「パジャマゲーム」に間に合っていればなと思わずにはいられません。
宝塚から離れて、自分の道を歩んでいくOGの姿を見つめることは、少しの切なさを含みます。でも、それを上回るほどの楽しさがあるのだと知ってしまった今の私では……。
ここで浮かんだのがジャニーズの舞台。
ニッキもずっと少年隊として「PLAYZONE」という舞台に立ち続けた人です。
早替えやら、フライングやら、階段から落ちたり、激しい殺陣をしたり…限界まで舞台で命を燃やすスターがエンターテイメントとして昇華する。
主役は集客力のあるスターだとしても、今後芽が出るであろう後輩が脇をかためる成長の場でもあります。
これはとても宝塚に似ていると思うのです。
舞台に挑む姿も含めて頑張る生徒の姿に、私達は感動しているのだから。
もちろん、役になりきった姿をみて役者として花開いた瞬間に感動することもあります。
でもそういう舞台はどちらかというと「役」ではなくて、「スター」が重要。
その人がいかに魅力的なのか、いかにその人の存在感で舞台を支配するのか。
私はそういう舞台を否定はしません。SHOCK見に行って感動しましたし(笑)。
でも、宝塚OGにそれを求めるのは、個人的にちょっとした罪悪感が湧きます。
本人がそれを望んでいるのなら仕方がない話ですが、
それは宝塚時代からのファンのためだけに存在することになります。
宝塚以外のミュージカルやストレートプレイなどの舞台ではニーズがありませんよね。
特に、男役を引きずっていたらなおさら仕事は減るんじゃないでしょうか。
宝塚からホップステップジャンプどころじゃない「やばいタカラジェンヌ」に出会う
ただ、宝塚を引きずらずにさっさとステキな女性になっていくのは、ちょっとした寂しさが伴うんですよね。
私の場合はずんこさんでした。
卒業後を追えなくなった私のようなファンは少なくないのではないでしょうか。
他のOGファンでも、スターではなくなった後もずっと応援するってよっぽど熱烈なファンだろうし、宝塚の舞台に立っているスターが好きだったのだから、心が離れてしまうのは仕方がないんじゃないかと思います。 だって別物なんだもの。
だからいかに自分を突き通して新しいファンを獲得していくか……それが重要なんでしょうね。
宝塚時代のファンが去っても、新たな魅力で新しいファンが増えていけば問題ないもの。
みっちゃんはその岐路に立たされているんだろうなあ。
今の私はちょっと成長したので(笑)、新たな面をみせてくれたら嬉しいなと思うんです。
さて、私は昨年剣幸・ウタコさんに出会います。
存在は知っていたけれど、麗人のDVDで「歌うたいのバラッド」を歌うウタコさんを観てドツボに……。
すごく凛として、タカラジェンヌっぽさはあるけれど、
とっても女性として美しい人ですよね。
だからすごく歌が旨くて存在感のある人だなとは思ったんですけど、
最初はホントにピンと来なかったんです(笑)。
そして、宝塚100周年DVDでミーマイの歌を歌い継ぐウタミミが大好きになって。
いまのウタコさんを好きになったので、最後に月組トップスター時代の作品をみたわけです。
そのときに「あ、本当に男役だったんだなー」と変な感慨がありました……(笑)。
今と昔のウタコさんを見て、いい意味で宝塚で培ったものを昇華していて、それを私が無理なく受け入れられている自分がいました。
でも、それが実現しているってすごいことだと思うんです。
ものすごく大変な作業だったのではと思うのですよ。
男役・娘役としての「型」を極めて卒業したあとは、お芝居や歌、ダンスの基本的なスキルはそのままに、ウタコさんでさえ、その型だけは外さなければならなかったはずです。
たとえば歌だったら女性のキーに戻したり、ファルセットではない歌い方を身につける必要があると思います。ウタコさんは在団中とっても低い素敵な声でしたけど、いますごく透明感のあるお声ですよね。私には考え付かないような努力を積み重ねていらっしゃったんだろうな・・・と思います。
宝塚でもほかの舞台でも、お芝居で大切なこと、歌を伝えることの難しさなどは一緒のはずです。宝塚でやってきたことはもちろんムダじゃない、尊いことです。
でも、男役と娘役はやはり、宝塚でしか成立しないもの。
そこを切り離して一からスタートしていくしかないわけですね。
この前の逸翁コンサートに行って思ったのは、男役として活躍してらっしゃった姿が蘇ってくる尊さがもちろんあり、これまでのキャリアで培われた女優としての表現力が相まって、宝塚ファンもいまのウタコさんファンがみても満足できる内容だったということ。
横に寄り添うこだま愛・ミミさんがまた素晴らしくてね……。いつまでも男役さんは素敵って思ってくださるプロフェッショナルな娘役らしさを失わないでいてくれるのに、ウタコさんが女優さんとしてもひとりの女性としてもすごく素敵で尊敬できる存在なんだってことも同時に伝えてくれます。
そしてなにより、ミミさんも歩みをとめず進化し続ける素晴らしい人です。
宝塚時代も、それ以後の歩みもどちらとも大切にしていて、それがそのまま芸に現れている方々に出会えて本当に嬉しかったな……。
ウタコさんにしても、ずんこさんにしても、いまとなっては現役時代以上の素晴らしい表現者になっています。ずんこさんから心が離れても、ずっと舞台にいてくださったということ。それでまた好きになれたことが嬉しかった。
私はそこまでぞっこんラブにはなれないので、何回もそれを繰り返すと思います。みっちゃんに対してもそうでしょう。
でもわかったことは、スターが卒業していくことはそんな悲しいことじゃないってこと。もっと素晴らしい世界がひらけていること。
ウタコさんの舞台作品、絶対に生で観たいなと思います。
本当に時は有限だからね……お金また貯めよう……。