There is something that I want you to know.

好きなものは、コンビ萌え

「優しさ」の意味の移り変わり

5月1日、令和の時代の幕開けに昭和の、しかも戦前に日本で演奏された洋楽を楽しむという企画「レビュー ニッポン・モダンタイムス」を観に行きました。

2月の宝塚OG公演「ベルサイユのばら45」で日向薫ネッシーさんを生で見て、宝塚以外の歌をうたってるところがみたいなあ…と、思い切ってチケットを取ったのです。

大学時代に輪島裕介さんの本を読んで、戦前から戦後にかけて日本がどのように洋楽を受容していったのか…すごく面白い分野だと思っていたもので、もともと観に行きたいなとは思っていたんですけどね。

日本海側から東京へ行くのは時間がかからなくなりましたが、行く決断をするのはかなりエネルギーがいるものです。背中を押したのは学びたい気持ちよりも、大好きな人に会いたい乙女心でした(笑)。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

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宝塚OGが出演する公演に遠征するようなるとは…と自分でも驚いています。

一昨年、剣幸・ウタコさんに出会うまで、宝塚を卒業したタカラジェンヌを見るのは本当にせつないものだったから。

男役から美しい女性に変わっていく姿を見るのは、夢から覚めて現実に引き戻される感覚に似ています。男役は10年以上もかけてつくり上げられますが永遠に続くものではなく、1番脂ののったときのあの輝きは刹那的なものです。だからこそ美しく儚い。

でも、ファンの心にはその美しさが一生刻まれます。忘れられないこそ、宝塚とは違うフィールドで生きるタカラジェンヌがOG公演で現役時代の持ち歌を歌うのもどこかむず痒い。どこか申し訳ない気持ちにもなる。なんて身勝手なんでしょう(笑)。

 

でもウタコさんに出会って考えがガラリと変わりました。

女優として歩んでこられた「今」を好きになって、その後に現役時代の映像を見たので、時を経ても変わらないものがある尊さと、現役時代からさらに今もなお進化することができる恐ろしいほどの伸びしろに(笑)心から感動したんですね。

ウタコさんの現役時代を知らないからこそ、考えが変わったと思います。宝塚が全てではない。卒業してからが長いのだと。その道筋の先にウタコさんのような歩みを止めない素晴らしい方がいた。だからこそネッシーさんの「今」が知りたいと思うこともできました。

 

さて、なんでこんなにネッシーさんにお熱なのか…ですが(笑)。

最初はあの極彩色のオーラにしてやられたわけですが、私が現役時代の映像で一番好きだなと感じたのはあの優しい佇まいです。

ネッシーさんが相手役さんを見つめるときのあの優しく包み込む感じがすごく好きなんですね。デュエットダンスなんて「これだけ大切にされたらたまんねぇだろうなシギちゃん…」とため息が出ます。

でもそんな甘い感じを期待して(笑)歌劇や宝塚グラフを読むと、ネッシギってすごくサバサバしたコンビなんですよね。ネッシーさんはシギちゃんに対して「しっかりした考えを持っているんですよ」とよく褒めています。奥手だけど芯の強いシギちゃんをよく理解していますよね。ふたりともお育ちがよいのだろうなぁ…。だからこそ信頼関係も生まれるし、何をやっても受け入れるよという包容力も感じることができる。一人の舞台人として、人間として尊重している姿勢が強く感じられます。

ベルサイユのばら'89 フェルゼン編」はそういう関係性を考えるとちょっとおもしろい。フェルゼンはマリーアントワネットを唯一、ただの一人の女性として愛しているからこそ時代に引き裂かれてしまう。ネッシーさんのフェルゼンはマリーアントワネットを深く強く愛していながら、女王として死ぬことを選ぶ彼女を尊重している感じが強く出ているところが独特なんですよね。シギちゃんのマリーアントワネットは愛らしい外見とは裏腹に、毅然としてフランスの女王として死んでいく誇り高さが印象的です。死なせたくないという思いとの鬩ぎ合いがありながら、諦念が一緒に滲み出る。ネッシーさんの持ち味が活きたベルばらです。トップ時代の作品はあっさり系が多いですが、どれだけ深く愛していても、他人の人生をとやかく言えるはずはないという虚無感があるからでしょうね。

 

 

5/1のコンサート、私は「ディガ・ディガ・ドゥ」を聞きに行きました。でもなにより心を打ったのは「君微笑めば」。

すごくシンプルな歌だけど、ネッシーさんが歌うとより優しさに溢れた歌になる。微笑んで、と投げかける人間が微笑んでいてくれるから幸せが生まれるんですよね。太陽のように光り輝いて笑っていてくれるから、聞いてるこっちは本当に涙が止まらなくて……いっぱい元気をもらいました。

ネッシーさんの声って当時から優しい声でしたけど、伸びやかさが備わってより温かさがより感じられるようになってますよね。男役のときに漂っていたあの「虚無感」は、女性としての柔らかさによって「思いやり」に変わっています。いろんな曲が聞いてみたいなと思わせるパフォーマンスでした。磨きつづけてるよね……また会いに行きたいです。

男役という枠が外れたとき②――宝塚卒業後の歩みを考える

久しぶりの更新。

かなり前ですが、こんなブログを書いて思春期のころから持っていたもやもやとした気持ちを整理しました。

missy0786.hatenablog.com

↑のブログ記事は姿月あさと・ずんこさんが好きになって、

卒業後ちょっと気持ちが離れて、

また出会ったときに宝塚のスターだったときとは違う

「一人の歌い手」としてのずんこさんが大好きになったという話です。

 

 

ですが、また違うところで思うところがあって、

でもその気持ちを言語化することが難しく、

気がつけば半年くらいの時間が経っていました。

やっと言葉にできそうなので、つらつらと書いていきます。

 

スターとはなんぞや

北翔海莉メモリアルブック (タカラヅカMOOK)

私は去年の秋頃くらいに突然北翔海莉・みっちゃんが好きになりまして(笑)。

宙組の3番手時代からの彼女を見ていなかったので、

難しい役をとにかくこなす器用な男役というイメージが強く、

特に専科時代の作品には驚かされました。

特に「メリー・ウィドウ」と「エリザベート」は本当に素晴らしかったですよね。

それで「この人正統派スターだったんだ!」と感動したのがきっかけ。

ただ、私は同じくらい妃海風・ふーちゃんも好きになったもので、

卒業後はどちらかといえば彼女のほうを追いかけていたものだから、

あまりみっちゃんの卒業後の動きは追えていませんでした。

 

で、あるときいつも聞いている「たまむすび」というラジオ番組で、

ニッキ・錦織一清が自らが演出する「蘭」という作品のエピソードを語っていました

そして、出演者のひとりである、みっちゃん・北翔海莉の話が出たのです。

ちょっと書き起こしてみました。

 

「北翔海莉さんはなんでもできる人だって聞いてて本当にそうだった。で、かっこよかったのは男役トップスターだったからね、スターって背中なのよ。颯爽と歩くその後ろ姿っていうのかな。バックダンサーとしてトシちゃんやマッチのようなスターの背中を見てきたからね、スターの背中って大きくて颯爽としてかっこいいのよ。それと同じ背中がそこにあったの!」

 

宝塚OGっていうのは、やっぱりそういうことを求められるんだなあ……と。

幼い自分であれば、私はそれを肯定的に受け止めていたと思います。

これはニッキとみっちゃんが悪いわけではないのですが、思い切って大阪まで見に行こうかなと思っていた気持ちを削ぐくらいの衝撃はありました。

ふーちゃんが「江戸は燃えているか」で娘役とはまったく違う、力強い女性を演じていた姿を生で見たあとだったので、同じようなチャレンジをするみっちゃんが見たかったのですよ。

「パジャマゲーム」に間に合っていればなと思わずにはいられません。

宝塚から離れて、自分の道を歩んでいくOGの姿を見つめることは、少しの切なさを含みます。でも、それを上回るほどの楽しさがあるのだと知ってしまった今の私では……。

 

ここで浮かんだのがジャニーズの舞台。

ニッキもずっと少年隊として「PLAYZONE」という舞台に立ち続けた人です。

早替えやら、フライングやら、階段から落ちたり、激しい殺陣をしたり…限界まで舞台で命を燃やすスターがエンターテイメントとして昇華する。

主役は集客力のあるスターだとしても、今後芽が出るであろう後輩が脇をかためる成長の場でもあります。

これはとても宝塚に似ていると思うのです。

舞台に挑む姿も含めて頑張る生徒の姿に、私達は感動しているのだから。

もちろん、役になりきった姿をみて役者として花開いた瞬間に感動することもあります。

でもそういう舞台はどちらかというと「役」ではなくて、「スター」が重要。

その人がいかに魅力的なのか、いかにその人の存在感で舞台を支配するのか。

 

私はそういう舞台を否定はしません。SHOCK見に行って感動しましたし(笑)。

でも、宝塚OGにそれを求めるのは、個人的にちょっとした罪悪感が湧きます。

本人がそれを望んでいるのなら仕方がない話ですが、

それは宝塚時代からのファンのためだけに存在することになります。

宝塚以外のミュージカルやストレートプレイなどの舞台ではニーズがありませんよね。

特に、男役を引きずっていたらなおさら仕事は減るんじゃないでしょうか。

 

 宝塚からホップステップジャンプどころじゃない「やばいタカラジェンヌ」に出会う

ただ、宝塚を引きずらずにさっさとステキな女性になっていくのは、ちょっとした寂しさが伴うんですよね。

私の場合はずんこさんでした。

卒業後を追えなくなった私のようなファンは少なくないのではないでしょうか。

他のOGファンでも、スターではなくなった後もずっと応援するってよっぽど熱烈なファンだろうし、宝塚の舞台に立っているスターが好きだったのだから、心が離れてしまうのは仕方がないんじゃないかと思います。 だって別物なんだもの。

だからいかに自分を突き通して新しいファンを獲得していくか……それが重要なんでしょうね。

宝塚時代のファンが去っても、新たな魅力で新しいファンが増えていけば問題ないもの。

みっちゃんはその岐路に立たされているんだろうなあ。

今の私はちょっと成長したので(笑)、新たな面をみせてくれたら嬉しいなと思うんです。

 

 

麗人 REIJIN-Season2

さて、私は昨年剣幸・ウタコさんに出会います。

存在は知っていたけれど、麗人のDVDで「歌うたいのバラッド」を歌うウタコさんを観てドツボに……。

すごく凛として、タカラジェンヌっぽさはあるけれど、

とっても女性として美しい人ですよね。

だからすごく歌が旨くて存在感のある人だなとは思ったんですけど、

最初はホントにピンと来なかったんです(笑)。

 

そして、宝塚100周年DVDでミーマイの歌を歌い継ぐウタミミが大好きになって。

宝塚歌劇100周年夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』 DVD-BOX

いまのウタコさんを好きになったので、最後に月組トップスター時代の作品をみたわけです。

そのときに「あ、本当に男役だったんだなー」と変な感慨がありました……(笑)。

復刻版ライブCD '87月組大劇場公演「ME AND MY GIRL」

今と昔のウタコさんを見て、いい意味で宝塚で培ったものを昇華していて、それを私が無理なく受け入れられている自分がいました。 

 

でも、それが実現しているってすごいことだと思うんです。

ものすごく大変な作業だったのではと思うのですよ。

男役・娘役としての「型」を極めて卒業したあとは、お芝居や歌、ダンスの基本的なスキルはそのままに、ウタコさんでさえ、その型だけは外さなければならなかったはずです。

たとえば歌だったら女性のキーに戻したり、ファルセットではない歌い方を身につける必要があると思います。ウタコさんは在団中とっても低い素敵な声でしたけど、いますごく透明感のあるお声ですよね。私には考え付かないような努力を積み重ねていらっしゃったんだろうな・・・と思います。

宝塚でもほかの舞台でも、お芝居で大切なこと、歌を伝えることの難しさなどは一緒のはずです。宝塚でやってきたことはもちろんムダじゃない、尊いことです。

でも、男役と娘役はやはり、宝塚でしか成立しないもの。

そこを切り離して一からスタートしていくしかないわけですね。

 

 

この前の逸翁コンサートに行って思ったのは、男役として活躍してらっしゃった姿が蘇ってくる尊さがもちろんあり、これまでのキャリアで培われた女優としての表現力が相まって、宝塚ファンもいまのウタコさんファンがみても満足できる内容だったということ。

横に寄り添うこだま愛・ミミさんがまた素晴らしくてね……。いつまでも男役さんは素敵って思ってくださるプロフェッショナルな娘役らしさを失わないでいてくれるのに、ウタコさんが女優さんとしてもひとりの女性としてもすごく素敵で尊敬できる存在なんだってことも同時に伝えてくれます。

そしてなにより、ミミさんも歩みをとめず進化し続ける素晴らしい人です。

宝塚時代も、それ以後の歩みもどちらとも大切にしていて、それがそのまま芸に現れている方々に出会えて本当に嬉しかったな……。

 

ウタコさんにしても、ずんこさんにしても、いまとなっては現役時代以上の素晴らしい表現者になっています。ずんこさんから心が離れても、ずっと舞台にいてくださったということ。それでまた好きになれたことが嬉しかった。

私はそこまでぞっこんラブにはなれないので、何回もそれを繰り返すと思います。みっちゃんに対してもそうでしょう。

でもわかったことは、スターが卒業していくことはそんな悲しいことじゃないってこと。もっと素晴らしい世界がひらけていること。

 

ウタコさんの舞台作品、絶対に生で観たいなと思います。

本当に時は有限だからね……お金また貯めよう……。

トップスター・トップ娘役という関係性を考える②――お互いが想い合う尊さ

さて、こんな記事を書いたわけですが、

missy0786.hatenablog.com

 

次は、宝塚のトップコンビ萌えについて頭を整理したいなと思います。

見栄えのバランスはもちろん重要

去年、天海祐希・ゆりちゃんのドラマ「緊急取調室」を見て、共演している田中哲司との見栄えのバランスが素晴らしいなと思ったのが、いま思えば宝塚に再びハマるきっかけでした。

緊急取調室 Blu-ray BOX

ゆりちゃんと田中哲司の役においての関係は、作中くっついてもおかしくない、そのギリギリを楽しむ異性間ブロマンスですね。

もちろん、宝塚のコンビ萌えとは違いますが、ゆりちゃんと横に並んで釣り合いが取れて、こんなにバランスがよい人をみるのは、麻乃佳世・ヨシコちゃん以来だなあって思ったんですよ。いわゆる"chemistry"というやつです。

ゆりよしはそれぞれ個々として好きなんですけど、コンビとして好きだったかと聞かれたらぶっちゃけ見栄えの問題だけだったかもしれません。ゆりちゃんが好きだったとき、私は小学生だったので男役が光り輝いているのをみるのが愉しみだったんですから、コンビネーションがどうとか、そういう観点で見ていなかったからです。

それを楽しめてたってことはヨシコちゃんが娘役としていい仕事をしてたってことの証明なんですけどね。

 

で、最近ヨシコちゃんなにしてんのかなと思ったら「麗人」のコンサートで涼風真世・カナメさんと共演したと知ってびっくり。それでDVD買ってみたりして。そこから昭和ジェンヌにどんどん足を突っ込んでいくわけなんですけど、最終的に剣幸・ウタコさんにたどり着くわけです。

ウタコさんはゆりちゃんのミーマイ再演の際に、稽古見学してる様子をTVで見たときから、お名前は存じ上げていました。ほぼ日の連載でゆりちゃんがいかにウタコさんのことを大切に想っているかも知っていたし。

で、去年「緊急取調室」がやっていたころ、ゆりちゃんはまたほぼ日でウタコさんとの想い出を語ってくれています。

www.1101.com

で、先に「麗人」みちゃったんですけど、宝塚らしい凛としたところはわかるんですが、お声も柔らかいしあまりにお美しい女性なので、最初は全然男役だったイメージがもてませんでした(汗)。

麗人 REIJIN-Season2

でも、ここまでゆりちゃんが尊敬する先輩ってどんなトップさんだったのか知りたいなアと気になっていたので思いきって「ル・ポアゾン」をみたんですよね。

いやー見たら最後(笑)。なぜいままで見てこなかったのか!ここで完全にオチました……。

ゆりちゃん時代の月組が大好きだったのに、ゆりちゃんがお手本にしたスターさんを好きにならないはずがなかったのよね……。

ただ、ウタコさんを好きになったのは、ちょっといままでとは違いました。

観た作品がさよなら公演だからなおさらだったと思うんですけど、こだま愛・ミミさんが相手役だったからこそウタコさんを好きになったから。しかもこれは見栄えだけの話じゃ収まらないのです……。

相手に向ける想いが互いの魅力を高める

私が言うまでもないことですが、「ル・ポアゾン」ってホントにお洒落な作品で、トリスタンとイゾルデのピュアな2人にうっとりしたと思えば、現代に生きるジゴロなアダムとイブのエロスに酔わされ、トップガーン!翻弄され続けます。

それだけ振り幅の広い作品で楽しませられるということは、演者にいろんな引き出しがあるってことなんですよね。岡田敬二先生が「トップ2人のために書いた大人っぽい香りのある作品」と当時の公演パンフレットに書いていましたが、岡田先生の意図を知ってか知らずか、ウタコさんは歌劇の座談会で「媚薬にはいろんな香りがあると思うから、それぞれ場面ごとの香りを自分自身も変えられるように、お客様にいろんなものを味わったと感じていただけるようにと…」とおっしゃっています。なんて素敵な表現!

 

この作品、ミミさんがウタコさんを本当にとろけるような顔で見つめたり、色気たっぷりに挑発したりと本当に目が離せない存在で、ここまで娘役に注目したことはありませんでした。ダンスが一番って言われてるとは思えぬ歌と芝居のうまさはもちろん、年月を経て成熟した娘役の濃厚な寄り添い力に圧倒されます。

そして、ウタコさんが抜群の包容力でミミさんを受け止めることで、さらに男役としての色気が増すのが素晴らしい。トップコンビって相乗効果があるから魅了されるのだとこの時やっとわかりました。

 

トップコンビってダンスも歌も芝居も一緒のシーンが多いから、それはもう長くて濃密な時間を共にするわけですよね。だから、相当いろんなことあると思うんです笑。きっとウタコさんは言葉を選ぶと思うけど、きっといい作品をつくりあげるために真摯に言葉をかけると思うし。それでもビジネスライクな感じのない、何回見ても新鮮な感じを失くさずに、味わい深い作品をつくれるというのは、信頼関係がちゃんと構築されてるからなんじゃないかと。

望海風斗・だいもんの番組でウタコさんが「アイツ本当にいろんなことしでかしてくれるんだよね(笑)。でも、なにがあっても"私ならなんとかしてくれる"って思いを持ってくれてたことが、彼女の娘役として素敵なところなの」っておっしゃってて、ミミさんにもウタコさんへの特別な思いがあると思いますが、お互いに想い合うってすごく尊いですよね。それが舞台に現れて、多くのファンを魅了してたんだと思うと、生で観れてたら悶絶ものだったろうと思うのです。

年を重ねても変わらぬ関係性の尊さ

さて、ウタミミにハマってから100周年公演DVDや麗人コンサートをあらためて観てみました。

宝塚歌劇100周年 夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』I [DVD]

シメさんの変わらなさに脱帽して最初は気づきませんでしたが、トークだけでも見直してみると本当にいろんな気付きがあります。

峰さんとマイマイさんやペイさんとマサエさんなど、現役時代の面白エピソードを楽しく話してくれるコンビはたくさんいらっしゃいますけど、話してる内容によっていろんな顔が見られるっていうのはウタミミならではなのかなって。

ウタコさんは基本的に頼りになるお姉さん的存在なんですけど、女子をからかう小学生男子的になるとこがたまらん(笑)。

もちろんミミさんも、お姉さん頼りなかわいい妹でもあり、男子のイジリをさらっと受け止めるおませさんな女子のようでもあって。

当時の映像って少ないし、現役時代、リアルタイムでは知らないからなんとも言えないけど、歌劇やグラフ読んで「こんな2人だったのかな」って想像してたそのままで今でもトークしてる感じがまたすごいんですよね。はぁ、すごい!失われないんだなアって。

 

基本的に現役時代のときのことを聞かれて「ウタコさんにおんぶにだっこでした」ってミミさんが言って「本当におんぶにだっこしてましたよ」って返すウタコさんを生で観た今となっては「この夫婦漫才どんだけ続けてきたんだろ……」って思うんですけど、ちょっとねー彼氏彼女っぽいときありませんか(笑)?

 

ミミさんが自分より華奢なウタコさんにリフトしてもらう振りがついたとき、ご飯を食べなくなっちゃうって話が有名じゃないですか。

相手に負担をかけないようにって、上級生だからって言ってしまえばそれまでなんですけど、なにも言わず食べなくなっちゃうミミさんが愛おしいし、そんなミミさんに「いいから来なさい」ってご飯連れてったり家に呼んだりして食べさせるウタコさんの気遣いがまた愛があってたまらないし。

ミミさん、ウタコさんに会うときは「元カレに会う感じ」とか言ったことあるそうじゃないですかぁ(笑)!

先日の逸翁コンサートでもその話があったんですけど、「私、ミミをリフトして重いって思ったことないよ?」ってウタコさんが言ったときの男前な感じと、それ聞いてホッとして嬉しそうなミミさんが可愛くてたまらなかった。尊いよねぇ……。

 

さて、これだけの多面性をですね、先日もトークだけで楽しめたんですよね……。

それで、更に磨きの掛かった男役・娘役芸と、年月を重ねて芸の幅を広げた女性としての「いま」を見せてもらって、完全にこっちはキャパオーバー。すさまじい多幸感でした。お2人とも成熟した大人の女性なのに、いろんな顔がある、そのどれもが嘘だって感じさせない。

女性が演じる男役に寄り添う娘役って究極の虚構なんですけど、そこに真実味をもたらすのは人としての信頼関係だと思う。

それをすごく教えてもらったな、と。

 

最後に、一つ気になるのは当時から「ウタミミ」って呼称はあったんですかね?

これ言い出した人天才だと思うww

トップスター・トップ娘役という関係性を考える①――ゴールデンコンビとはなんぞや

「宝塚100周年夢の祭典 時を奏でるスミレの花たち」という公演。

DVDで何回も見ていますが何度見ても飽きない豪華さがあります。 

宝塚歌劇100周年夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』 DVD-BOX

トークの際に麻実れい・ターコさんと遥くらら・モックさんが腕を組んで出てこられた時、先に舞台に出て来ていた汀夏子・ジュンコさんが「なんやそれ〜!こっち一人やで!」っておっしゃったのが印象的で。

あとから、ベルばら四天王のみなさんは相手役を務めた主演娘役はたくさんいらっしゃるけれど、いまのようなトップ娘役としての概念が希薄だったのだと感慨深い気持ちになりました。

スターシステムの確立はその次の世代なのでほぼ80年代。トップスターとトップ娘役がパートナーとして語られるようになるのはここからなのかなと。

で、まさにそのターコさん&モックさんと大地真央・マミさん&黒木瞳・ショーコさんという違うタイプのゴールデンコンビが生まれるところが面白いなと思います。

ゴールデンコンビってどういう関係性ならそう呼ばれるの?

この本によるとゴールデンコンビとは「宝塚の歴史に残る人気コンビ」のことを言うらしいです。上記の2組はもちろん該当していて、代表的なコンビとして紹介されています。

つまりは「トップコンビをみるためにチケットを買う人がいるかどうか」ということでしょう。最近だと、まさにちぎみゆですね。

宝塚語辞典: 宝塚歌劇にまつわる言葉をイラストと豆知識で華麗に読み解く

ターコさんとモックさんは学年差はあっても一緒に作品をつくる同士だったのだと、お二人のインタビューを観たり読んだりすると感じます。モックさんがトップ娘役としての経験がすでにあり、ターコさんについていけるだけの、特にお芝居での技量があったから成立した関係かもしれませんが。

グラフとか歌劇の写真をみると、すごくターコさんがモックさんをかわいがって大切にしているのも感じられるし、姉妹みたいに見える。一緒に同じベクトルに向かって進んでいける信頼関係がみえる、まさにゴールデンコンビだと思います。

 

マミさんとショーコさんはまさに師弟関係ですよねぇ。ショーコさん、トップになったの研2だもんなぁ......そんなのついてくしかないよ(笑)。ショーコさんがあまりにも幼いので、ひたむきについてった姿が尊いんじゃないなと思います。見栄えだけで言うとゴージャスで美しいしね。

私は、見た目の相性ってすごく大事だと思っています。ああ、ぴったりだなって思えるってすごくバランスがいいんだと思うんですよ。大地真央の横にいて負けない美貌。これはなかなかいません。

2人きりだと優しいのにみんなの前で厳しくしてたマミさんになんでですかってショーコさんが聞いたら「私が厳しくすれば、他は何も言えないでしょ?」って返されたってエピソードが素敵。

 

どちらも違うタイプですねぇ。

でも、どちらにせよ人気コンビになるってことは、理由があるわけですよね。

個人的に考えたゴールデンコンビと呼ばれる条件はこれです。

①「ダンス・芝居・歌の相性&見栄えのバランスも良い」

②「一緒に歩んでいるさまをファンが見て楽しむことができるか」

この2点が該当していることなんじゃないでしょうか。

 

①は言わずもがな。

芝居の温度が一緒なのか、ダンスの息が合うか、歌声のバランスがいいか。

見栄えのバランスはお似合いのカップルに見えるかってことですね。

②は簡単に言うと、2人で支え合ってたり、娘役がトップに必死についていこうとする姿勢が微笑ましくうつるかどうか、ということですね。

 

舞台以外のところで培われた関係性が、演じている舞台で現れた時に尊さが生まれて、コンビとしての人気が出るんじゃないのかなって思うんですよね。

 

ゴールデンコンビという概念を知ったときの複雑な気持ち

さて、私は姿月あさと・ずんこさんが大好きだったわけですが、相手役は花總まり・ハナちゃん。まぁー華やかな2人で歌のうまいコンビだったし、「エリザベート」のデュエットダンスは本当に色っぽくて息もあってていまでも時折見返すくらいには大好きです。

ザ・タカラヅカ 宙組特集

でもこの2人がどうのこうのと思ったことはあまりないんですよね。

これは、ハナちゃんに旦那がたくさんいるからじゃなくて(笑)、宙組がずんこさんを中心に一致団結してたからじゃないかって思うわけです。ハナちゃんはすごい実力者ですけど、宙組公演を観ていると「ずんこさんの一番近くにいる組子」って感じがするんですよ。ずんこさんが求心力になって、一つの作品をつくりあげていた印象がすごく強いからかもな。すごく慕われていたしね……ずんこさん。

まさに上の宙組特集のような関係性ですよ。

 

だからずんこさんが退団したあと、和央ようか・たかこさんとはなちゃんがゴールデンコンビって言われだしたの知ったときの衝撃といったらなかった(笑)。

ザ・タカラヅカ (宙組特集3) (タカラヅカMOOK)

で、卒業のときのハナちゃんの挨拶がまたすごかったし……。そのころにはWOWOWとかNHKでたまたま放送されているのを観るくらいでしたけど、こういうコンビのあり方もあるんだってちょっと切なくなったんですよねぇ……。ゴールデンコンビという概念を知ったのはこのころでした。

これは自分で勝手に感傷的になってるだけで、誰も悪くないんですけどね。

そのあとも安蘭けい・とうこさんとか霧矢大夢・きりやんとか好きなスターはたくさんいるんですけど、もともと三番手くらいのときに目を引いてたスターばっかりなので、いざトップになった時にコンビとしてみるってことがなくて…。

 

こうやって思い返すと、コンビ萌えなんて全然してこなかったんだなー(笑)。

ヤンミキも好きだったけど、並んで踊ってるだけで「好き!満足!」っていうか、パーソナルな部分、昔はどうでもよかったんですよね。

10代のころ、男役しか見えてなかった証です……。

 

これは、大人になって全体を俯瞰できるようになってから娘役の大切さを知って、初めてわかることなのかもしれない。

男役のかっこよさに惹かれて宝塚が好きになったんだから、娘役は自分の媒介なんですよね。 これは先日の逸翁コンサートでミミさんもおっしゃってたみたいですね。

 

さて、コンビ萌えについては次の項にて。

男役という枠が外れたとき――ファンが選ぶのは「別れ」か「新しい愉しみ」か

去年、こんなことをつぶやきました。

それで、このツイートを見た方がDMを送ってくださってこう聞かれました。

 

「別れをどう乗り越えてきたんですか」と。

 

私は明確に答えられなかった。

そして気づく、私は乗り越えたことなどなかったと。

悲しいのにそれを認めず、なんとなく次のトップスターを応援する。

ましてや、宝塚を卒業したタカラジェンヌをちゃんと卒業後も応援し続けるだなんて、私は中途半端に投げ出したんだから。

それを私はいま、心の底から後悔しているのだけれど。

卒業後も変わらずファンを続ける尊さを知る

いつか生で観たいと思ってた剣幸・ウタコさんとこだま愛・ミミさん、そして未沙のえる・マヤさんのコンサートに行ってきました。弾丸で大阪!

笑いの絶えないトークが最高で、しかしながらすばらしい内容で感動の連続。

こんな多幸感を味わったことはありませんでした。

スキップでもしそうなくらいハッピーになってホールを出ようと席を立つと、ファンの方々がハンカチで涙を拭いている姿がちらほら。

「泣きすぎちゃったわ」って微笑んでる姿がとても印象的でした。

卒業して時間が経っても、瞬時に乙女心を呼び覚ます宝塚の尊さ。

そして、なにより現役時代の映像で見たより芸の幅が広がっている素晴らしさ。

現役時代から、卒業してから、とファンになるスタートラインはそれぞれでしょうが、これまで歩んでこられた過程を舞台を通してご存知なのだったら、それはこの上ない贅沢なのだと思い知らされたのです。

好きでい続けるのは難しい 

宝塚が大好きになったきっかけはTVで見た「風と共に去りぬ」。天海祐希・ゆりちゃんと久世星佳・のんちゃんが大好きになった作品。ビデオが擦り切れるくらい見ました。

でも1人のタカラジェンヌに心奪われたのは、姿月あさと・ずんこさんだと思います。

月組に組替えしてから知りましたが、ゆりちゃんと仲睦まじい様子は微笑ましかったし、中学生になってから「TAKARAZUKA オーレ」の「夜霧のモンパルナス」を聴いてから目が離せなくなって、歌一つで物語全てを語ってしまうようなタカラジェンヌがいるのだと、完全にオチちゃったのです。

 

宙組ができてからもずっと好きだったけど、あっという間にずんこさんは宝塚を去って行ってしまった。

あまりにも清々しく行ってしまったから、寂しいと思えるほどの実感がなかったけど、この本を読んで、素のずんこさんを知って、少しうれしくて少し寂しかった。

本当に体を休めて欲しいと、そしてまた歌って欲しいと願いながら。

 

Natural

 

ずんこさんが歌う姿は、ハネケンさんが司会をやってた時代の「題名のない音楽会」でよくお見かけしていました。なかでも「ニューヨーク・ニューヨーク」は本当に忘れられない、素晴らしい歌唱。

あと、クラシックもよく歌ってましたよね。ずんこさんが歌ったシューベルト「魔王」はあまりにも有名ですし、奥田瑛二の演技とかけあいながら「カルメン」かなにか歌ってたような…あれもすごいパフォーマンスだった。

個人的には、前に朗々とした歌声がドミンゴのようだって表現した誰かの文章を読んだ覚えがあるんですけど、「誰も寝てはならぬ」を歌っているのを聞いて「ああ、ドミンゴみたいって言われてた人が本当にオペラ・アリアを歌ってるよ…」と感動しました。

きっと歌を徹底的に学んで、いろんな引き出しをつくろうとしていたんだろうって思うんですよね。

でもそんなこと関係なく、ここまでは圧倒的な歌唱力を楽しめたからついていけてたんだろう、と思います。

 

 

その後、ずんこさんが「スタジオパークからこんにちは」にご出演された時、相変わらず徹底的に飾らない人だなって思いましたが(笑)「男とか女とかそんなこと関係ないと思うんです」と語ってたのをみてからよくわからなくなってしまったんですよね。

性別なんて関係ないところで楽しんでたくせにね(笑)。

中村雅俊さんの「ふれあい」を歌っていたと思うんですけど、いま聴いたら違うことを感じたと思うんです。

「ああ、ずんこさんは歌手としてまた違うベクトルへ進んでいこうとしているんだな」ということだけはわかったのだけど……。OG公演もなんだか気もそぞろにになってしまって、ついていけなくなったのはそのときだったんだろうと思います。

 

再会はこのアルバムです。

ずんこさんのデビュー30周年記念の作品。

Treasure~私の宝物~

 

 

これの「最後のダンス」を聞いて、すごい境地に達している!と衝撃を受けました。

そしたらスルスルって他の曲も楽しく聴けました。

このアルバムの発売を記念したインストア イベントのレポートに

姿月あさとはかねてより、自分の声を楽器の一つとしてとらえており、歌詞の意味以上に、自分の歌声がいかにバックの演奏と溶け込むかということを重視……」という一文がありましたが、それがどういうことなのかがわかるんですね。

今思い返せば、あのとき聞いた「ふれあい」はそういうことだったんだって思うんです。

歌詞はちゃんと伝わらなければならない。でもその歌詞の意味をなぞる以上の、その奥にあるなにかを伝えたかったのではないかって。

ずんこさんが表現したいと思っている世界を理解するには、その当時の私はあまりにも子どもでした。

 

無理して好きでいる必要はないでしょう。無理せずにすこし距離を置いて、いまずんこさんの歌にまた触れて、「好きだ」といま私が思えたというだけ。

なんであそこで投げ出したんだろうって切なくもなるんですけど、なんだか嬉しかった。少しは追いつけたかな、と。

 

多少ブランクができたくらいなんだ、今からでも遅くない。

時は有限です。いまを見なければあっという間に過ぎ去ってわからないままになるだけ。いまからでも、ずんこさんがこれからどんなことを感じて、どんな歌を紡ぐのか。それを自分なりの早さで、距離感で見つめるべきだと。

 

ただ、いま私が好きな「コンビ萌え」はずんこさんにはないんですよね。ここにはまた違った複雑な思いがあります。

 

ここはまたの機会に考えをまとめたいですねー。